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日々の出来事

今日が最後

今日がおじいちゃんがお家に居られる最後の日です。
とても淋しい。とても苦しい。
でも、おじいちゃんはもっと淋しかったし、苦しかったのかと思うとその半分でも私が背負ってあげる事が出来たら良かったのに。
おじいちゃんは、私の生きる生き甲斐でした。
其が明日で全てが終わる。
もう何も無くなる。
因果応報。此の言葉を胸に刻みながら毎日を過ごしていきたいと思っています。

父のドライアイスの取り替え

今日は父のドライアイスの取り替えの日です。
状態が悪いと引き取られてしまう。
一生懸命寒いけど我慢してエアコンをつけずに頑張った甲斐が有り、おじいちゃんを持ってかれずにすんだ。
お家が大好きだったおじいちゃん。
何が有っても慌てず、お家で看病していたらまだ、生きていたかも知れない。
考える事はいつも一緒。
私の判断ミスと、病院側の対応。
本当に今でも悔やまれて仕方が無い。
保健会社の方にも何処の病院か聞かれ、驚かれてしまった。
でも、何を話しても、何をしても、おじいちゃんはもう帰って来ない。
此の無念をどう晴らしたら良いのか?
思案中だ。
明日は晴れるといいな✨

やっぱり裏切られた

昨日から今日にかけては気分は最悪です。
やっぱり思っていた通りの解剖結果で、悔やんでも悔やんでも、悔みきれない。
でも、父の横で泣いて居る息子を見ると、この子を残しては死ねない。って思ってしまう。
また、娘は顔に出さない分また心配。
親は死も自由に選べない。
当たり前か。
はてなブログの方皆様が羨ましい。
素敵な奥様やご主人をお持ちで。
そして、其だけ愛されて。
亡くなられてもまだ、愛されて。
幸い私は主人には恵まれませんでしたが、子供達には恵まれ感謝かな。
おじいちゃんの面倒も一生懸命看てくれたし。
このまま優しさを忘れずに、強さも身に付けて欲しいです。
今日も子供達に感謝です。

やっとお家に戻って来た。

父がやっとお家に帰って来た。
どんどん49日が減ってしまう。っと気が気ではなかったので本当に嬉しい。でも、やっぱり司法解剖の結果は思った通り病院側の言いなりの心臓疾患で、痰ずまりではなかった。そして、2回も我慢をして手術をした気切も塞がれていた。
一体今迄の父の頑張りは何だったのか?
そして、やっとふっくらしてきた頬もげっそりと痩せていて、目も窪んでいた。
此の無念の行き場をどうしたら良いのか?
一気に身体中の力が抜けていくのが分かった。
子供達は気を使い食事の用意や後かたずけをしてくれたり、全く母親失格だなぁ。って思ってしまいました。今日はおじいちゃんの布団と毛布と枕を洗濯して。
其だけで疲れてしまい、でも、今日はこのままではおじいちゃんが可哀想なので、どんよりした身体を引きずり御花やお供物ご飯やお茶、お酒、果物をお供えした。
夜も寂しい。朝も目が覚めると淋しい。朝方必ず目が覚めると同時に酷い頭痛。薬で誤魔化して、薬が効くまで、またベッドに寝転がる。
大好きな私の父は人一倍気使いの父。
もう本当に私の事を心から心配してくれる人は居ない。
今日も無意味な日が過ぎていった。
母の時に自分で自分の心をコントロール出来る様に臨床心理士の友人に臨床心理を教えてもらったが、人の心はそう簡単には変えられない。と悟った。
ですが、母の時に少しでも免疫が出来ていただけましかと思った。
あ~。また、今日も夜が来た。

子供達が皆下で寝る

昨日まだ、司法解剖の予定日の連絡が入らないので、葬儀社と警察の両方に電話をした。
何だか嫌な予感がしてしょうがないのだ。
結構、昔からスピリチュアルな話しになってしまうけれど、必ず身内が亡くなると夢枕に立つのですが、今回はそれがまだ無い。
まだ、自分が亡くなった事が分からないのか?其れとも、私の事を怒っているのか?
私なりに一生懸命やって来たつもりなのにな。
まだ、私も父の亡骸が無いので入院しているみたいで実感がわかず、でも、確実に身体と心は日に日に悲鳴をあげている。
全て自分に置き換えて考えてしまうので、毎日がとても苦しい。
家族に此で良かったのか再確認するも、後で後悔するより皆で決めた事だから 。っと言われるが、普通なら49日はお家に居られるのに、どんどん居られる日にちが減って行く。
其を思うとお家が大好きだったので、私は一体何をして居るんだろう?とまた、思ってしまう。
あれだけ他人に迷惑をかけまいと頑張って来た父を最後まで安らかに行かせてやる事が出来なくて。
あ~。医療過誤だと分かっていても病院側の申し出通り、今なら 保険金も癌扱いにしますよ。と言われ、情け無い思いをしてでも父の事を考えて堪えてその申し出を受けていれば、今頃は大好きなお家に居る事が出来た。
子供達も出来るだけおじいちゃんを近くに感じていたくて、皆下で寝る事になった。
今日もまた、朝がきた。
私にとっては無意味な朝だ。
世の中には生きたくても生きられ無い人が沢山居る中、父を見送ったら、早くお迎えに来て欲しい。
今迄1人で一生懸命頑張って来たんだから。
って毎日の様に思う。
生前父には生きて居られる事の有り難さを説いておきながら、今の自分は何なのか?
母と父が別々の病院に同時に入院していた頃は二人の橋渡し役で、母の病院は家から近かったので毎日通い、父の病院は遠かったので一日おきに通った。
また、父も今の病院に何回も入退院したが、その度に具合が悪い日を除いて、毎日通ってお世話をした。 ICUに居る時は、お見舞い中毒だなぁ。と馬鹿にされても、大切な家族だから毎日面会出来る限りした。
それでもまだ、私の頑張りが足りなかったのか?
私は母の様に器用に立ち回る事も出来ないし、自分でも不器用で、あの時こう言っておけば良かったのか?ああ言っておけば良かったのか?とまた、後悔。
きっとお迎えが来たら、第一声が、何でもっとちゃんとお世話出来なかったのか?と怒られるんだろうな。
こんな時1人っ子は辛いし、悲しいし、情け無い。せめて兄弟が居てくれたら。っと。
ああ。早く司法解剖が終わりお家に帰って来て欲しい。寒がりだったので心配で仕方が無い。
ああ神様早くおじいちゃんを返して下さい。
御願いします。

今日も朝早く目が覚めて

今日も朝早く目が覚めて。必用無いのに。
いつも5時半位には目が覚めていて、私がトイレに 起きておじいちゃんをチラ見したら、もう起きてる。じゃあ、朝の行事を済ませますかと思い、バイタルを測って、オムツを変えて、暖かいタオルでお腹とお尻をマッサージしたり拭いてあげたり、大腿の傷口もその時に一緒にケアをして、その内娘が起きて来てくれるので、溽創のケア、そして、口腔ケア、これも最初に大きな綿棒で口回りを湿らせて要らない皮とかを取ってあげて、次にマウススポンジで大間かな汚れを取ってあげて、次に歯ブラシを骨髄炎の所を除いてケアをして、次にポイントブラシで細かく、少しずつケアをして、最後にマウススポンジで汚れを取ってあげて、吸引をして、終了。そうこうしている内に朝の薬の時間。食前の薬を入れて、顔や手を暖かいタオルで拭いて、化粧水を付けて、頭も同じく暖かいタオルで拭いて、化粧水で拭いてあげて、そして、気切のケアをしたり肩の傷のケアをしたりしていると、食後の薬の時間で薬を入れて、足のケアは娘の担当なので、暖かいタオルで温かくなるまで温めて、ロクシタンのシアバターの入ったクリームがお気に入りだったので其を付けて所々必用に応じてアズノールを付けて弾性ソックスだけでは直ぐに冷たくなってしまうので、モコモコ靴下を履かせてあげて、最後に身体を拭ける範囲で拭いてあげて、胸に暖か目のタオルを当てて、痰が出やすくなります様に、今日もいい日で有ります様にと言いながら胸をさすってあげると、にっこりと微笑んでくれて、最後にまた、ロクシタンのシアバターの入ったクリームで仕上げてあげるとまたにっこり。その間ネブライザーも朝昼晩寝る前に適宜行い。吸引も適宜行い。
私の方が早く目覚めておじいちゃんがまだ寝ていると、ふっと 不安にかられ、お鼻をこちょこちょすると眉間にシワを寄せておはようの挨拶をする。そしてまた一日が始まる。
だから、1人の時は朝ご飯が昼1時になる事もあった。でも、大変だとかは少しも思った事が無い。
だってお世話が出来るのは生きて居る証拠だから。
でも、今は何も無い。
只虚しさと、悲しさだけで、毎日が過ぎて行く。
一日も早くお家に帰って来て欲しい。
今は其だけです。
何よりもお家が大好きだったから。

いい天気

昨日の朝方はどうかと思ったけどいい天気になったのでおじいちゃんの洗濯物を干した。本当はお布団とかも干したかったけど心と身体がきつくて無理でした。
今日も自問自答の繰り返し。本当に司法解剖までするべきだったのか?おじいちゃんは寒がりだったのであんな寒い所に1人で置いておいて来て良かったのか?退院を楽しみにしていたのに…。お見舞いから帰って来る時はあんなに元気だったのに…。
皆で決めた事だけど。
病院での退院二時間前の痰ずまりなんて有り得ない。
最後の最後まで苦しく、痛い目に遇わせて申し訳無い思いで一杯です。
父や母の為にヘルパーの資格まで取って、看護師さんや先生に聞きながら、本を見ながら一生懸命皆おじいちゃんが大好きだったから頑張っていたのに、此れからは何を支えに頑張ればいいのか?
いくら洗濯をしても、もうあのパジャマを着る人は居ない。いくら布団を干しても、もうあの布団に寝る人は居ない。寂しくて寂しくて仕方がない。
皆お互いに寂しさを押し殺して明るく振る舞って居るけど、息子はおじいちゃんの介護の為に買った二段ベッドの上で声を殺して泣いているのが聞こえてとても切ない気持ちになった。
泣きたいのはこっちの方なのに、先に泣くなよ。
娘も何も言わないし言いたく無い子なので、何も言わなかったけど身体が悲鳴をあげて倒れた事もあった。でも、大丈夫といい。
私も過呼吸で救急搬送されたけど、おじいちゃんに知られたくなかったので、手の麻痺は残っていたけど次の日朝早く自宅へ帰って何事もなかった様に振る舞った。
皆大好きなおじいちゃんの為に一生懸命だった。
今でも信じられなくて。